挑戦の失敗は、心の財産です。
失敗談の完結です。
その後も、順調とは言えませんが、忘れてしまう程度の失敗とか、チャンスを逃した!こうしておけば良かった・・・波乱万丈・後悔人生でしたが、なんとか家族みんなで生きることが出来た、幸せ人生です。
こんな私を、生かしていただいた環境に、心から感謝しています。
61歳・・・これからも最終章の波乱万丈人生が残っているのですが・・・
私は、いつも挑戦をしました。
故郷を離れ、大阪へ出てきたのも自分への挑戦でした。ライバルをつくるのも挑戦です。技能競技会への参加も挑戦です。
自分には、ハンディーがあるので、挑戦する相手は自分です。
自分がどこまで努力出来たか、結果を出せたか、次の目標は・・・
生きている限り、挑戦は続きます。
失敗の単なるミスは、繰り返してはいけません。
未知への挑戦なら失敗を繰り返すことで強くなれます。決して同じ失敗はしないし、挑戦をしない限り良い経験を積む事は、出来ないからです。
技能競技会で、私は、大きく成長させていただきました。しかし、血が逆流するほどの失敗もありました。
アビリンピック・大阪技能競技大会・技能グランプリと、私は、挑戦しました。
一度目の技能グランプリで、2位になりました。その頃の世間は、バブルも下火になっていた頃でした。
子供2人の4人家族でしたが、ある事情でお店を辞めました。
縁あって、現在の会社に就職出来ましたが、履歴書の「グランプリ2位」が、人事の目に留まったのも確かのようでした。
入社して「グランプリ1位」を期待されるのは、必然でした。事情があり、1年置いて次の年に「1位の期待」を胸に、第17回技能グランプリへ挑戦しました。
初めて自分への挑戦より、期待される自分を重く感じました。
「絶対!1位」なのでした。
しかし、期待されての1位とは成りませんでした。
事前の仮縫いは、何度も何度もやりました。それなのに、袖付けを仮縫いより1mm多く縫いました。(思いがあったからです)
「絶対1位」は、完璧の仕上がりでない限り獲得出来ません。
しかし、左右の袖が、均等になりませんでした。(心臓パクパク!)(このままでは、大阪に帰れません)
それまでの作業は、順調に行っていたので、予定より1時間くらい早く進んでいました。
迷っている時間は、ありません。「絶対1位」は諦め、袖ミシンを解きました。
左右均等にするための時間は、瞬く間に過ぎて行きました。
結果は、「敢闘賞」でした。
会社への報告
私「ごめんなさい。敢闘賞でした。」
カッター「良かったやん!」「帰っておいで!」
辛い辛い経験でしたが、期待されての挑戦に失敗しましたが、私の大きな心の財産となりました。
もうこの辺で、辛い失敗談は終わりにします。
第18回でグランプリは、獲得しました。
30日までに、纏める用事があります。不器用な頭には、整理が出来ませんので、ブログはお休みします。