歩く(時を超えて)

http://blogs.yahoo.co.jp/arutizan2010/10566916.html


パソコンも、疲れてきたのかなぁ(狂いだしました)

デジタルとアナログ

昭和42年は、勿論アナログでした。
人間臭い時代でした。

空気も悪いし、街中もゴチャゴチャしていました。

松屋町筋を西に渡ると、高速道路の下に行きます。高速道の下には、高津会館がありました。高津会館で何年も油絵を習っていました。

私は、4畳半と3畳2間のアパートで暮らしていました。会館に近いので、油絵の仲間が、3畳の間に、荷物を預けて帰りました。
大作展が近くなると、大きなキャンバス(80号〜100号)の、製作に入ります。
アパートから、大きなキャンパスをかついで、高津会館まで、通っていたのも遠い昔話となりました。

懐かしい食堂を見つけました。
「大八食堂」です。
まだ、看板に灯りが点いていました。
営業しているようです。
ここの、ご主人は、同じテーラーの先輩でした。
懐かしいカレーにソースをかけて、いただこうかなと、扉を開けました。

猫が出てきました。
・・・そして、
女性が出てきて 「もう、営業おわりました」

昔話を話す雰囲気では、ありませんでした。

裏通りは、昔と変わらないようには、見えました。

この一角は、なんと言っても「黒門市場」です

雰囲気は、鮮魚店・八百屋・豆腐屋・食堂・・・賑わいはあります。

時の流れを、感じないわけにはいきません。




黒門市場の横には、写真の現像でお世話になった写真屋かありました。
ベタ焼きをして、良いアングルを選び、引き延ばして、キャビネにしてもらいます。
色の出し方も、ご主人の腕次第でした。

今は、デジタルで、簡単ですが、昔は、フイルムは、コダック・富士・さくらと、それぞれに特徴があり、自分に合ったメーカーのフイルムを、選びました。
写真1枚に、手間暇が必要でした。

便利になった分、何かを失っていることもある・・・と、思うのですが・・・

黒門市場を抜けると、日本橋筋です。

もう少し歩けば、難波ですが、日本橋から地下鉄で帰ることにしました。


夕方になったので、お世話になったテーラーへは、お邪魔しませんでしたが、、満ちゃんの奥さんも、お元気にお過ごしと思いました。

また、何時の日か、お邪魔したいと思います。