眉山先生 ありがとうございます。

眉山先生からのコメント

アイエスさん・・・糸子さん、男まさりですよ。
飲めない、どぶろくを飲んでグロッキーでしたね。
可愛い一面もあるのですよね、この時代は物の統制時代です。
ウールとか、綿百%の生地は戦時中に買ったものを
床下、天上裏に隠し持っていたものを商売したものです。

長崎弁もいいですよ、友達にいますから良く長崎に指導に行きました。
最初は列車で、その後は飛行機で それも大村空港でしたよ。
その後、島を削り取った、現在の空港ですね。

ミユキソーイングへ、若手テーラーを連れて行きましたよ。
工場法制とは、どんな流れをして仕上がるのかを・・・

もう一人は普賢岳の近くの友達が東大阪にいます。
昔に爆発した所が池になっていて夏には良く泳いだそうですが。
そこは墓地であったそうです、潜っては墓石を蹴って浮上したとか

大阪洋服同志会の新年宴会で盛り上がった事でしょう。
今後に対する良い意見も出たことだと思います。
これからは、アイエスさんの時代です、期待しています。

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2012/1/11(水) 午後 1:59 


眉山先生、ご丁寧なコメントありがとうございます。 ウールや綿100㌫生地は、屋根裏に隠していたのですか。 お洒落は食欲と同じく、生きる生命源ですね。 糸子さんの時代は、和服から洋服の変化の時代だったと思います。 先生の時代は、一人縫いから工場縫製へ移行する時代だったのでしょうか。 また、今がその 「変化の時」 だと思います。 「変化」の意味を正しく理解した者が、一歩リードするのだろうと思います。 先生がご指導されたミユキソーイング工場は、今も活躍しています。 イージーオーダー ・ 既製服 は、大変改良され、素晴らしい服になりました。 その仕組みを開発された先生方は、凄いです。(本当に!)

(オーダー業界を背負って立つ先生方です。)

先人の技術・技能を今に生かすことが、変化をリードする術だと、私は思っています。

糸子さんと同じく、洋服に情熱を持った若い人達が、沢山います。

若い人達に技能を伝えることで、一緒に新しい服づくりを目指します。



私は、長崎県平戸市の出身です。

眉山先生が徳島県のLEDを誇りとお思いのように、私も長崎・平戸の歴史に誇りを持ってご紹介いたします。
http://www.nagasaki-tabinet.com/tomocchi/item/11

故郷に誇りを持って、今を生きることに精を出します。

眉山先生 ありがとうございました。