昭和いっちゃんの物語です。

私(いっちゃん)は、近頃思うのです。



この世に生れて、たった一つしかない尊い命、なんと無情な世の中だろうと思うのです。



個人が悪いのでもないだろうし、社会のせいにしても解決は出来ないだろうし・・・



けど、昨年は、3万人以下になったと言われる自殺者が、27.766人だそうです。

20歳代・30歳代・10歳代40歳代・・・の順番です。



動物の中で、人間だけが選択できる尊い行いだと、聞いた事もありますが、私は、学者ではないし、難しい事は分かりません。



そうであるならば、桜の宮高校のキャップテンの尊い命と、3万人近い尊い命との、命の区別が、私には出来ません。



27.766人全ての命が、尊いと思うのです。





私は、人様の心を変えることは、出来ません。 (それで良いのです)



60歳を過ぎると、思い出すのです。

幼い頃のことを・・・ 人情というものが、身近だった頃を・・・











「いっちゃんの、豊かな生活」は、昭和20・30年の時代に生きた、ありのままを綴りたいと思います。



私の名前は、一郎ですから「いっちゃん」と呼ばれていました。



いっちゃんが、生まれて育った昭和の時代は、モノが豊かではなかったし、衛生的でもなかった。



青水鼻を垂らして、袖口は、光っていました。




いじめもあったし、喧嘩もありました。



歳上の子が歳下の子をいじめると、誰かが咎めてくれました。

いじめられる子も 「ゆ〜たろ〜 ゆ〜たろ〜 とうちゃんに ゆ〜た〜ろ〜」と、逃げる事が出来ました。



悪い子も、「あの子は、乱暴だから・・・」と、みんなから怖がられていましたし、喧嘩も認知されていたのです。つまり、乱暴な子どうしで喧嘩をするのです。



身体の弱いいっちゃんは、乱暴で悪いと言われている男の子から、いじめられる事は無かったし、悪い子も正義感を持っていました。



私も、小刀をポケットに忍ばせて遊んでいましたが、けっして人に向けるモノではなく、木の枝を切ったりモノづくりに重宝する道具として必要でした。学校にも、持って行き、鉛筆削りとして使いました。



幼い頃のいっちゃんは、生傷は絶えなかったし、勉強もしなかったし、食ベ物も好き嫌いが多くて・・・骨皮スジエモンと言われていました。



そんな、いっちゃんが、今は、もう61歳です。



どんなに苦しくても、自分から命を絶つ事をしなかったから、今があるのです。

そして今は、私を生かしてくれた全てに、感謝しています。



だって、弱い弱いいっちゃんですから・・・



次回からは、楽しい話題と相成ります。(でも、ないかな?)

http
//blogs.yahoo.co.jp/arutizan2010/11177586.html

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