「形」

「憧れ」私は、胸一杯の夢と希望を膨らませ、昭和42年大阪に、やって来ました。

都会への「憧れ」だったのでしょうか。

仕事は辛くても、誰もが「夢」を持てる時代でした。

「フーテン」や「のんびりゆこうよ」「戦争を知らない子供たち」「全学連」「ハイジャック」「万国博覧会」「・・・」

何かに守られ、平和な時代でした。 (!?)

誰もが、バブルを経験しました。(私達年代)

そして・・・今は、


大人になりきれない「日本」が、あります。

「スタイル」を、持てない日本が、あります。


「憧れ」て、生きてきた都会が、いま迷っています。

いやいや、日本が、いま迷っています。


自分で考え・自分で行動し、形を残す事で、何かが見えてくると思います。

私のパソコンも、アルバイト講師も、今年一年間で、何かを残したいための行動です。

沢山のコミュニケーションが、ありました。

日本の末端に何か、形が生まれます。

橋下徹大阪市長の大きな一歩と、個人の小さな一歩は、「それぞれ」の一歩です。

大きな一歩も小さな一歩も、社会を変える努力の一歩です。



誰も無駄な人はいません。


私は、出勤の時、エレベーターを利用します。

高齢ご婦人と一緒になりました。

ご婦人「歳とると、あっちこっちが痛くなって辛いわぁ」「早くあの世へ行きたいわぁ」と、私に話しかけてきます。

私「・・・」 ご婦人の身体が痛そうで、冗談に聞こえませんでした。

エレベーター設置の便利な社会も、「生甲斐の無い老い」は、身体の痛みより辛い事と思いました。

それぞれに、老若男女「頑張ろう!」としか、言えません。

憧れが「夢と希望」に繋がる、社会であって欲しいです。


(憧れの大阪もどんどん変化します)